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自由からの逃走 [東洋医学]

 昨日、社会学者の日高六郎さんがお亡くなりになったそうです。

 あまり勉強熱心な学生ではなかった私ですが、翻訳されたE.フロムの『自由からの逃走』は基本中の基本書として読んで、それなりに感銘を受けたことを覚えています。
 第二次大戦前のドイツ国民が、封建社会から近代社会へ移行することで手にした自由によってもたらされた自由のもうひとつの側面~孤独を恐れるようになり、逆に自由から逃れるように、ナチスの狂信的な国家主義に陥っていくという内容(理解が浅かったらすみません)でした。


 人間は自由を求め、いざ自由を手にすると怖れるようになるという考えは、整体にも通じるところがあります。


 成長とともに不自由だった新生児がついには立ち上がり、いつしか我が物顔に走り出すようになります。二足歩行という不安定さとの引き換えに手にした、前後左右に自由に動き回れるこの仕組みを、大人はやがてもてあまし、背骨を固めて反り返って寄り掛かるところを求めたり、逆に背骨からぶら下げて猫背になったり、もっと安定を求めてゴロゴロ寝転がって休息したりすることを好むようになります。

 神のように自由でありたいと願った素朴な思いは、神ではなかった自分の非力さから逃げ出そうとする悲劇に終わる。

 自由をそんな風に捉えると救いはありませんが、東洋思想~東洋医学なら、ちょっと別の見方、考え方で自由を生き、自由を楽しむことができると思っています。



 そもそも自由とは西洋的な考え方では闘争と力により不自由や抑圧からの解放としてまず意識され、解放の先にあるのは、理性によって自律した市民、公民なのか、具体的なイメージは難しいですが弁証法的止揚の状態とか、あるいは神をも乗り越えた超人か、ということになるのかもしれません。人類の進化という感じですね。逃げ出したくなる気持ちもわかるような気がします。

 東洋思想では解放のその先の究極の自由というものがあるとすれば、陰陽五行の考え方で捉えることで、陰陽の中点、五行の調和の中点にあることとなり、それは一日の時間の流れの中で、一年の季節の流れの中で、絶えず変化する世界にその都度調和し対応できているという状態になるのではないでしょうか?
 ともすれば大自然や人間社会の圧倒的なパワーを前に翻弄されがちな私達が、バランスよく波乗りのようにひょうひょうと生き抜いたり、合気道のように襲い掛かるパワーを逆手にとって自らのパワーに変換する、それこそが水墨画に描かれた仙人のような存在であるということなのかもしれません。


 話が大きくなってしまいましたが、自由の不安定さをそのまま受け止め、調和~バランスすることで不安定を生き抜くだけでなく、パワーと美しさを手にする。東洋的な考え方~体の使い方の極意とは、そのようなものだと私は捉えています。
 姿勢をよくしようとすると疲れる・・・そんな風に感じている方は、ぜひ当院の整体を体験してみてください。姿勢がいいことは、調和の中から湧き上がるパワーでいい姿勢を保てる、とても楽で気持ちのいいものです。それはきっと、小さな子供のころは誰しもが多かれ少なかれ感じていたはずの腰痛や肩こり知らずの軽やかな体=初めて立ち上がって歩く自由を手に入れた時の喜びと似たものなのです。



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